BLOG

超える

超える

ピアノを弾いていると、 <超えたい>  と思うことが多い。
何を超えるのか。
それはいろいろある。 この道を歩んできたその時々の状況や環境によって、それはどんどん変わっていく。 技術はもちろんのこと、集中力や想像力の上限を超えたい、体力の上限を超えたい等。 生活状況の変化によって、音楽活動の優先順位を下方修正せざるを得なかったときには、限られた時間の中で能率を上げるべく、今ある全ての能力を超えたいと思ったものだ。

今、 <超えたい>  と思っているものがある。 それは 「楽器」 だ。
楽器を超える。
もう少し深く掘り下げると、楽譜に書かれた音楽と、実際に音として奏でられる音楽の間にある楽器の存在を、霧のように半透明化することなのだ。 当然その前提として技術を超えていなければならない。

滅多に出会えない演奏がある。 会場に満ちるのは、楽譜に記された作曲家の強いメッセージと、それを汲み取って自身の感性とを一体化させた演奏家の音楽だ。 それはそこに介在しているはずの楽器や、声帯、管弦楽等の存在を全く感じさせない。 音が、音楽が、まっすぐ聴く人の心に届く。 聴く人には音楽の塊が届けられ、聴き手はそれが一体ピアノの音だったのか、管弦楽だったのか、歌だったのか、判断しかねる不思議な感覚に陥る。
そんな時、演奏家もまたおそらく楽器という存在を意識してはいない。 書かれている音楽と、演奏されている音楽の距離が最短なのだ。
私はそのような、楽器を超えた演奏をしたいと思っている。

社会に目を向ければ、この <超える>  ということがいかに重要で難しいかがよく分かる。
例えば、人種を超えれば人は、すべて 「地球人」 となる。 世界で起こっている内戦は複雑な歴史の上に立った事情があるにせよ、少しは減るのではないか。 ジェンダーの問題も然り。  男女である前に、我々は同じ人間だ。 社会の中に見られる多くの差別は、どこかに超えることができない意識があって、それが偏見を生み、人を傷つけ、場合によっては犯罪にさえ至る。

<楽器を超える>  事は私の理想だ。 しかしこの理想に向かって日々励む。
<人種を超える>  こともまた世界の理想だ。  しかしこの理想に向かって日々励んでいる人たちがいる。