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音を紡ぐ

音楽は音を楽しむと書く。演奏は楽譜に書かれた音符を音に換える。絵は色や形をキャンバスに乗せていく。音は何処にそれを乗せていくのだろう。それは、果てしなく広がっている空間でもあり、時間でもある。この目に見えない時間というものは様々な形を持つ。〇〇分〇〇秒といった計測できる正確な数字に表される時間がある一方で、捉え方によっては1日があっという間に過ぎる時間もあれば、一週間が一ヶ月に感じられるほど長い時間もある。

音楽はその全ての種類の時間の感覚を用いて演奏される。一つの音には実際の長さの何倍もの時間が詰まっている。その中で細かく分化された時間を最大限の長さに感じながら音を創っていく。集中して耳を傾ける。同時に次の音が頭の中では準備されている。その音もイメージとしてすでに鳴っている。演奏の実態を分析すると、過去の音を聴き、現在の音を出して、さらに未来の音を聴いているという、たえず3つの時間が同時に進行しているということになる。さらに、大きな流れとして曲を構築していることも大切だ。

ここで、いつも私がハマる落とし穴が有る。演奏を理想的に完成させたいという思いや、本番特有の不安、自意識や自己不信など、様々な心理が働いて先を見すぎてしまうのだ。準備を進め過ぎると言ってもいい。調子の良い時、内外の理想的な環境で音楽ができている時にはこの落とし穴は無い。

この落とし穴に遭遇しない時はどんな時なのだろう?それは、先を見過ぎず、音をゆっくり一つ一つ紡ぐように音楽を辿っている時だった。つまり、アレクサンダーの言う「エンドゲイナー」になっていない時だった。現在に没頭しながら周りを見る。音を紡ぐことは難しい。しかし、自然体で音楽に向かえば、それは最高の時間を旅している様に現在を生き、味わいながら前に進むのだ。その時は雑念からも解放されている。

<今>を見ないで先を見てしまうことを「エンドゲイニング」という。エンドゲイニングしている人を「エンドゲイナー」という。この概念を使ってアレクサンダーはそのテクニックを使って吃音に悩む多くの人を改善へと導いた。アレクサンダーテクニックを勉強していくと、やがてこの概念も取り入れるようになる。音楽家もこうして理想的な状態で音を紡ぎながら、音楽の美に近づけるとどんなにいいだろう。