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追いかける

追いかける

クラシック音楽と関わり始めてもう半世紀を過ぎた。
それがいつかライフワークとなり、仕事となった事は私にとって幸運なことだった。 今まで過ごしてきたほとんどの日々を、この勉強や仕事を最優先して過ごしてきた。 心身ともに苦労を伴い、そこに相当の経済的な見返りはなかったが、それはどんな仕事よりもやり甲斐があり、どんな趣味よりも楽しかった。

そんな中で 私にはいつも小さな疑問があった。 今のようにこうして思いを言語化できなかった幼い頃から、私には触れているその音楽と私を取り巻く生活環境の間に違和感を感じていた。 今から思うと、それは東洋と西洋の違いだったように思う。 音楽には私の知らない節回しや表現から滲み出る独特の空気感があった。 それは一歩外に出た途端に目に触れる当時の日本の景色や 情景や、人々が交わしている会話の雰囲気とは全く異なるものだった。

時が経過して、そんな違和感を忘れてしまっていた私はやがて、 西洋で誕生したクラシック音楽を本当に日本人の私が真に理解できるのだろうかという疑問を持ち始めた。 その疑問は演奏活動を始めてからも脳裏から消えなかった。

3年間の留学を終え帰国した私は、さらにヨーロッパでの勉強を続けたいと、日本での音楽活動と共に短期間でも毎年ヨーロッパを訪れる二重の生活を始めた。 留学中に身に付けようとしていたヨーロッパでのセンスを 失うことなく、さらにそれを深め、手に入れたいというのが本音だった。
最初はイタリアに1〜2ヶ月、日本に10ヵ月余りの生活を数年続けた。 その生活を始めて3年目位だったと思う。 日本で勉強した新曲をレッスンで聴いて頂いた時、師に開口一番 指摘された事がいまだに忘れられない。 「まぁ、なんて硬い音楽!」  私は、はっと我に返ったように蘇った。 次の瞬間から私はもうヨーロッパ人になっていた。

この教訓を忘れた時はない。 やがてほとんどが日本での生活となり、ヨーロッパを訪れるのもせいぜい2〜3週間となった。 近年はコロナもあり3年以上日本に閉じこもっている。 そしていつもこの体験を思い起こしながらピアノに向かう。

曲がある程度まとまった段階で録音する。 様々な観点から吟味する時、この教訓からの視点も盛り込んでいる。 及第点がつく事はまずない。 一つ一つを改善に近づけるが、どうしても最後に残るものがある。 それは 「ヨーロッパ人の持つセンス」 だ。  到達は難しい。
絶えず片隅に抱えていた疑問が頭をもたげる。 こういうことだったのだと妙に納得する。 しかしこのまま引き下がるわけにはいかない。

それはテクニックの問題でも、解釈の問題でもなかった。 おそらくそれは、ヨーロッパの地に吹く風だったり、土地や建物の匂いだったり、生活の中で交わされる人々の何気ない会話から感じられるリズムだったり、食べ物だったり、いわゆる 「文化」 や 「風土」 から抽出される形のないものなのだ。

今の私にできる事は、ヨーロッパでの過去の生活体験を掘り起こし、私の中にその空気を、石畳の体感を、建造物から 立ち上るオーラを、また人々の表情や街の喧騒を再現し、そこから抽出されるものを音に結びつけていくことだ。
それはまさに、前述の私が幼い頃に感じていた言葉にならない違和感を今頃になって解消していく作業のようだ。

日本人には届かないかもしれないセンスを 日々追ってみる。