小学校に通っていた頃の記憶を辿ると、私は一風変わった生徒だったと思う。
例えば、小学校に入学して間もない頃、クラスの中で、「答えが分かる人!」と先生が皆に手を上げさせた場面があった。今思うとそれは普通の光景だ。
ところが、咄嗟に私が思ったのは、答えが分かると何故、”我こそは” と言わんばかりに先を争って手を上げなければならないのか、ということだった。私にはどの質問も答えられた。しかし手は上げなかった。恥ずかしいというよりは、なんだかそれが稚拙なことに思えたからだ。
何事も学校では、一番になるのが厭だった。変わり者らしく、激しく拒否したのではないが、一番になりそうになると、何気なく後ろに下がるようにした。勉強にしても、運動にしても、一番になってクラスで脚光を浴びるのは性に合わなかった。
やがて、ピアノの道に進むようになり、競争社会に身を投じることとなった。
しかし、ここでも何故、演奏に点数をつけるのか、順を競うのかが、芸術を勉強していることを考えると理不尽なことのように思えて、試験やコンクールではずっと違和感を抱え続けた。
国際コンクールは、ただただ、本気で自身を崖っぷちに追い込むことで自らを磨き、レパートリーを増やしたい一心で何度も参加した。しかし、心の底では、この修行の場から一刻も早く逃れて、演奏会の場で聴く人達と音楽を共有しながら、自由に演奏できる時が来ることを切望した。
こんな私なので、今までライバルというものを持ったことが無い。共に切磋琢磨した友人はいても、ライバルと思ったことは一度も無い。どうしても、競争することの幼稚さが見えてしまうのだ。逆に私をライバル視した人は様々な分野に大勢いた。そこに巻き込まれないよう、無駄なエネルギーを消費することのないように努めた。
断言できることがある。私にとってのライバルは私自身だったのだ。少しでも上に行きたいと思う私と現実の私は、紛れもないライバル関係だったと最近気付いた。
やはり、人はライバルを持って生きるのだろうか。私の場合、けして追い越せない相手ではあるのだが。