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「ありがとう」のマナー

「ありがとう」のマナー

気持ちよく生きていく上で、いつも気をつけておきたいことが私にはいくつかある。
その一つがマナーだ。 これは人と快く付き合っていく上で大切なことだ。  

そのマナーは、住む場所によってその常識や考え方が随分違っていて、驚いたり感激したりする。
例えば、男性の女性に対するマナーなどは、欧米が日本よりも断然に優れている。 私が初めて単身ヨーロッパに行った時、すでにその道中で何度も自分は女性なのだという事を自覚させられた。 当時の飛行機は、搭乗すると色々なグッズを乗客に配るのが普通だった。 その中で女性にだけ、まずお花が配られる。 入り口に行けば必ず男性は一歩下がって先に道を譲る。 いわゆる、以前流行った 「レディファースト」だ。 建物の入り口、部屋の入り口、エレベーターの乗り降り等々。 重いスーツケースなどを持っていると、ヨーロッパではほとんどの場合、見ず知らずの男性がそれを持って階段を上がってくれたり、電車や飛行機の荷物置きまで運んでくれたりする。 日本ではそういったことに遭遇したことはない。  
国際化したはずの日本では、未だに多くの男性がそれができないのだ。 女性を大事にしろというのではなく、マナーとして身についていないことで、諸外国の地で恥をかかないかと老婆心ながら心配になってしまう。 

私が驚いたのは、まだ20代の若い頃に初めてイタリアに留学し、着いて10日後の、まだ言葉も解らない時に行われた大学院の入学試験の時のことだ。 名前を呼ばれて試験の行われる部屋のドアに進んだ私は、ドアが自然に開いたのにまず驚いた。 中から開けてくださったのは音楽院の院長だった。 そして、私に手を差し伸べて、「ようこそ、よく来たね!」 と手をとって誘導してくださる。 その向こうには机に並んだ何人かの審査の先生方が皆さん、笑顔でこれを見ておられる。 私は日本とのあまりの違いに度肝を抜かれた。 そして、先生方の笑顔を見て緊張が解け、心底、安心したのだった。 弾き終えるとやはり、みなさん満面の笑みをたたえて 「有難う!」 と言われる。 これにも仰天した。 日本で、入学試験はおろか、普通の試験でも、弾き終えた後に 「有難う」 などと言われることなど、想像もできないことだった。 再び院長は席を立たれ、私をドアまで送ってくださった。 そして、入学式など一切ないまま、翌日から学校が、つまりレッスンが始まった。

この、「有難う」 は音楽を学ぶ時に度々言われることだった。 各国から生徒が集まる講習会などでは、公開レッスンの場で演奏すると、まず先生が 「有難う」と言われる。 それからレッスンが始まる。  
日本でも、室内楽や伴奏で合わせの練習をする際、多くの演奏家が 「有難う」と言う。 例えばこの箇所をこんな風に演奏してほしい、あるいはこんなテンポで、という注文を出した時、相手がそれに応じてくれれば大抵、この「有難う」を言う。 途端にその場が和み、気持ちよくさらに合わせを続けることができる。 これは素晴らしいマナーだ。

私に限らず、演奏家はとても神経が細かい。 場の空気を敏感に感じ取り、相手の心も細部まで読み解く。 傷付くのも普通の人よりも早く、その傷も深い。 いわば、あっという間に壊れてしまうガラス細工のような神経や感受性を持っているのだ。
そんな危険をこのマナーは見事に救ってくれる。  このマナーひとつで演奏家の心に温かいものが流れる。 お互いの心が繋がり、信頼関係が深まる。 そしてより自然体で演奏できる。 良い音楽が生まれる。

演奏家の間でも、師弟関係においても、「有難う」 に限らず、ある一定のマナーを守って音楽に対することができればいいと思う。 その中に、相手の演奏家への、また弟子から師への尊敬が流れていれば最高だ。