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音楽と料理

音楽と料理

音楽家には料理が得意な人が多い。
演奏することには、 細やかな神経が必要とされる。  クラシック音楽のように楽譜を読み解いていくには、 細部までこだわりを持って追求していかなくてはならない。  そんなこともあってか、 音楽家、 特に演奏家には神経が随所に行き届いた凝り性の人が多く見られる。
私は神経の細やかさにおいては人一倍だと自認しているが、 凝り性かと問われるとそうではないと、 はっきり答えることができる。  しかし料理は好きだ。  私の料理は他の音楽家の作るような凝った料理ではなく、 いたってシンプルなものだ。   どちらかと言うと個性を追求するのではなく、 素材のおいしさを生かしたいタイプだ。  見た目もあまり凝らない。

演奏する事は料理に似ている。
楽譜という素材=食材がある。  それはそこに手を施さなくても、 既に美しい=美味しい。  しかし、 ただの素材のままでは味も粗く、 全体像もデリカシーに欠ける。  もっと美しく=美味しく仕上げたい。  そこで演奏家=料理人は手を加えていく。  様々な手法を使って試行錯誤を重ね、 美しさ=美味しさを追求する。  長年培ってきた技術を駆使する。  そこにスパイスを加える。  演奏におけるスパイスとは、 ちょっとしたルバートだったり、 それぞれのスタイルに合った装飾音符だったりする。  スパイスが足らないと美しさや美味しさに至らない。  加えすぎると、 楽譜自体が表現している事や素材の味までが壊れ、 別物になってしまう。  その加減は非常に難しい。  そのスパイスの効果を最大限に引き出そうと、 演奏家や料理人はさらに細かい手法を使う。  音やフレーズの境目に気づかれないほどの間を作ったり、 思わぬところに隠し包丁を入れたりする。  音=食材そのもののケアにも心を砕く。

ピアノを弾くことに比べ、 私の料理は真似事に過ぎず、 素人の域を出ない。  しかしもう一つ、 私の中にはこの二つのことに共通点がある。  それはその先に ”人” の存在があるということだ。

私が進んで料理をする時、 「美味しいものを作りたい、 美味しいものが食べたい」 という気持ちを遥かに上まわるものがある。  「これを食べる人が喜んでくれる。  その笑顔が見たい」という気持ちなのだ。
ピアノを弾くこと、 その努力の先には私の場合、 必ずと言っていいほど、 「これを聴く人にこの感動を届けたい。  この美しさを人と共有したい」という思いがある。  それはこれを食べて、 人に美味しさを味わってほしいことと同じだ。

私は曲がりなりにも音楽家だから、 素人の料理とは違って、 この道から得るものは果てしなく深い。  自らが生きていくことへの探究とも重なる。  しかし、 私を突き動かしている情熱の一つは聴く人の存在なのだろう。

やはり私は人間が好きなのだ。