最近、 あまりタクシーに乗らなくなった。 理由はいろいろある。 年齢を重ねることで、私自身の生活スタイルが変わり、時間の余裕ができたことが大きな理由だ。 以前は両親の介護に加え、仕事の量も今に比べてはるかに多かったので、ほとんど分刻みのスケジュールで毎日をつっ走っていた。 その中で 「時間を買う」 という発想で頻繁にタクシーを使っていた。 現在のような物価高騰の波もなく、手ごろな価格で気楽に乗れたことも理由の1つだった。
さらに大きな理由がもう一つあった。 頻繁にタクシーを使うことで、何人かのタクシードライバーと懇意になり、短いが楽しい時間を過ごしていたのだ。
その中で1人、群を抜いて 運転が上手なドライバーがいた。 初めてその車に乗った時、私は言葉を失うほど感動した。 アクセルもブレーキも全く感じさせないその動きが実に心地良かったのである。 車はいつも滑るように走った。 エンジン音とそのなめらかな動きが融和して醸し出す独特の動きや音が、いつも肉体的にも精神的にも疲れ果てていた私には、気が遠くなるほどの癒しになったのだ。
「あなたの運転は芸術的ね」 そう言うと、そのドライバーは 「 そんなこと、一度も言われたことありません」 と笑った。
それ以来、私はタクシーに乗っても、バスに乗っても、このドライバーは どのような運転をしているのだろう? という思いを持って、注意深くその運転を観察するようになった。 ハンドルさばきに加え、アクセルとブレーキの使い方が、また、その3者の絶妙なタイミングでの関わり方が重要なポイントになることが見えてきた。 運転技術も奥が深いものだと、私はつくづく思った。
以来、 このドライバーのような芸術的な運転をする人に出会う事はなかった。 当時は職を得るという意味で、最も手っ取り早い仕事がタクシードライバーだった。 今もそうかもしれないが、それだけに、はっきりとしたプロ意識を持ってこの仕事を選んだ人は一体何人いたのだろう。
私のイタリアの友人に、運転好きが高じて、ついにバスのドライバーになったソーニャという女性がいる。 話の端々には、彼女がいかに運転が好きか、いかにドライバーという仕事にプライドを持っているかが感じ取られた。 先日、会った時、彼女は私にこう言った。 「 毎日、バスを運転できて本当に幸せ。 でも、後に何人もの命を預かっていると思うと、いつも責任と緊張で体が張り裂けそうなのよ」
ヴァイオリンの銘器、ストラドヴァリウスを産んだ町クレモナに生まれ育ち、ドライバーとして毎日働いているソーニャと、いつか「芸術的な運転」の話をしてみたい。