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光を追う

光を追う

年齢を重ねていくと、日々の 勉強の内容が変わってくる。  私はまだピアニストをやっているので、もちろんこの勉強とは、一般で言うピアノの練習のことだ。
内容が変わる理由は2つある。  一つは、音楽的な解釈や、演奏に関する知識が年々深まり、それに伴って内容が変わってくるのだ。  好ましいことのように思うが、実のところ、これで自分自身を苦しめているところもある。  つまり、理想はどんどん高くなるので、それを達成して初めてよしとなる。  しかし、現実はそう甘くは無い。  現状とのギャップを埋めるべく、今まで以上に努力を強いられる。  それでも一歩でも理想に近づけば、ある種の達成感を得ることができる。  決して苦しいことではない。  やりがいのあることなのだ。

もう一つの理由は、加齢による技術の衰えだ。  各指の筋肉のバランスが変わったり、関節の動きが以前に比べて悪くなったり、指の形が変わったりする。  これをカバーするには、特殊な訓練と時間を要する。  その場に応じて独自の方法を編み出していかなければならない。  これは実に苦しいことだ。  情けない思いを捨てて、一から学び直す覚悟で楽器に向かう。  それでも改善の兆しが見えないときには、絶望に近い苦しみを味わうことがある。  また気を取り直して持てる知恵を絞りつつ進む。
そして、今までの何十倍、あるいはそれ以上の時間と努力をかけた末に、再び目指していた技術を取り戻した時の喜びはひとしおだ。  希望がまた湧いてくる。

勉強を重ね、頻繁に録音してチェックしていくと、様々なことを煮詰めた先に、ある課題が見えてくる。  おそらくこれは、これから先もずっと付き合っていかなければならない課題だと思う。
それは私の持つ悪い癖だ。  おそらく生まれ持った癖もあり、幼い頃からの習慣により無意識に身に付いてしまったものもある。  フレーズの歌い方、テンポの扱い方、 感情移入の仕方など、丁寧に修正しチェックしても、何日か経つと同じところで、同じ癖が必ず顔を出すのだ。  修正すると、直後は居心地が悪い。  そのうちその修正に慣れ、居心地の悪さも遠のいていく。  それからは、何日も持たない。  心地よく弾くが、チェックするとまたあの癖だ。  これは生まれながらにしてのDNAに刷り込まれているのかと思うが、後で身に付けたもののような気もする。  いずれにしても、悪い習慣を取るのは難しい。

身に付けた悪い習慣を取り去ることから出発しているのは、アレクサンダー・テクニックだ。  ここでも、幼い頃から当たり前となっていた悪い体の使い方を捨て去ることが、いかに 大切で、かつ難しいことなのかがよくわかる。  徹底的に悪い癖を修正することで、アレクサンダーは多くの道を切り拓いた。  アレクサンダー・テクニックの名教師には、故障やハンディを抱えている人が多い。  故障やハンディがあるからこそ、このテクニックを実践することの重要性が見えるのだ。  アレクサンダー自身もそこから出発し、すべてを克服していった。  私にもまだまだできることがあるのだろう。  そう思いながら毎日、癖との戦いに明け暮れる。