久しぶりに、モーツァルトの「デュポールの主題による変奏曲」を弾く。
これは私の愛する曲の1つで、若い頃から何度も舞台に乗せてきた。 今回は約8年のブランクを経ての再会だった。
最初のテーマを弾くべく、鍵盤に手を乗せた途端、聴き覚えのある深い響きが部屋いっぱいに広がった。 そうだ、これだった! と、私は蘇った以前の鮮明な記憶を手繰り寄せた。
これは不思議な曲なのだ。 独特の響きに満ちている。 一見どこにでもありそうな平凡なニ長調だ。 メロディーもシンプルだ。 そのメロディーを奏でる右手と、そこにハーモニーをつけ、リズムを刻む左手がある。 これもシンプルな作りだ。
ところがこの右手と左手の間には、いつもニ長調の持つ元来の響き以上のなんとも言えない美しい世界が生まれる。 この響きはいつも深く魅力的な光を放つ。 それは楽器が変わってもいつも同じだ。 不思議なことに、どのピアノで弾いてもそれは「デュポールの音」になる。 その楽器の最も美しい音が立ち上がるのだ。 そこから展開されるいくつかの変奏はどれも同じように光を放っている。 その色が少しずつ変わる。 変奏曲の楽しさはその変化にあるが、完成度の高いこの曲は変化に富む完璧な作曲技法の上に、いつも変わらぬこの不思議な響きが根底に流れていて、聴く人を惹きつけて止まない。
モーツァルトは果たして、このような楽器を目覚めさせる響きを計算してこの曲を書いたのだろうか? それともモーツァルトの感性が自然と鏡のようにここに映し出されているのだろうか? デュポールの響きはどこまでも純度が高く、疑うことをしない愛が詰まっているようにさえ思える。 そこには葛藤も憎悪も悔いも見えない。 癒しや励ましをも超えた人間讃歌のように私には聴こえる。
これが天上の音楽と称される天才作曲家の所以なのだろうか。
そして、これを弾くと限りなく幸せになるのだ。