世の中の変わり方が激しい。 世界情勢、気候の変動は言うに及ばず、我々の生活の隅々まで様々なことが大変な勢いで変化していく。 私はスマホを未だ持たないが、久しぶりに旅行を企てたら、たちどころに 不便を感じるようになった。 コロナ禍以降、外出も減り、それなりの生活リズムを快適に感じ、満足に暮らしていたのだ。 それが以前のように旅行に出ようとした途端、社会のシステムの激変ぶりを目の当たりにした。
パソコンで航空会社を検索し、より便利なフライトを探す。 すべてネットでできるのね、と感心しながら、座席の指定まで行い、クレジットカード払いにする。 するとその1分後にはパソコン上にeチケットが送られてくる。 こう書くと、いとも簡単そうに見えるが、現実はそうはいかなかった。 ようやく辿り着いた 最後の段階で、全てがキャンセルとなってしまったのだ。 払い込んだはずの代金も通知が来ず、eチケットも送られてこない。 問い合わせると、カードに不具合があるようなので、キャンセルになりました。 カード会社に聞いてくださいと言う。 ようやく判明した事は、以前より厳しいセキュリティーがかかっていて、 承認されなかったのだと言う。 そのセキュリティーを解除してもらい、本人確認をより簡単に行ってもらうのにまた時間がかかった。
ホテルの予約にも苦労した。 予約を成立させるには、最後に電話番号を書かなくてはならない。 私の持っているガラケーは海外では使えないし、タブレットには電話機能がない。 さすがにこれにはスマホを持たない不便さを思い知った。 結局、海外在住の友人の番号を入力してクリアした。
いよいよスマホに切り替えるか、もう少し世の中の流れに抗っていこうか。 いまだに答えは出ない。
答えを出せない理由は何か。
時流に乗る事は簡単なことだ。 そうすれば、今の社会の動きに遅れることなく、それなりの便利さを感じながら生きることができる。 しかし、私の中にはどこかに、そんなにやすやすとその流れに乗ってたまるかという思いがある。 そこにはある意味、屈折した私の性格と小さなプライドがあるのかもしれない。 これはどこから来るのだろう?
おそらくそれは、私の長年歩いてきたピアニスト人生にあるのだろう。 今の世界に照らして言うなら、それは限りなくアナログの世界だ。 何のハイテクも使わず、自らの能力とその可能性に挑み続けた半世紀。 そこには鍵盤と楽譜があるのみだ。 ひたすら 楽譜を読み込み、それを表現するべく、壁に突き当たってはもがき続ける。 その途上で何度も美しい光を音楽に見る。 また、次なる光を目指してもがく。 この果てしないアナログの戦いは、私にとって実に充実している時間であり、究極の楽しみでもあるのだ。 勝利が簡単に手に入らないことも知っている。 だからこそ、価値がある。
このような生き方をしてきた者にとって、キーをタップすれば、簡単に欲しいものが手に入る世界というのは、とても安っぽく見えるのだ。 ここに身を投じると、確固たる強さが砂のように崩れ、失われていくのではないか、という幻想にとらわれる。 なんだか頼りない。
それでも、現代のハイテクの最前線を駆使しつつ、音楽活動している音楽家もたくさんいる。
自らの不器用さを嘆きつつ、私も少しは現代の発想との両立を目指さなければならないのではないかとも思うのだ。