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3拍子の心

3拍子の心

今まで過ごしてきた時間を見渡してみることがある。
近ごろは、具体的に何をしたか、誰と出会ったかという類ではなく、 そこにどのような形の心の軌跡が刻まれたかを思い返すことが多い。 それは、直近の昨日の1日の時間の軌跡だったり、過去1ヵ月だったり、1年だったり、もっと長いスパンだったりする。

半ばゲーム感覚でその軌跡を1つの形に置き換えてみる。 四角なのか三角なのか、 曲線なのか直線なのか、 あるいは不定形なのかなど。
思い返すと私の場合、それは直線が多く、四角い形が続いていたように思える。 つまり、真面目に生きてきたのだ。 反面、それは堅苦しい形でそこには遊びの余地が少なかった。 心の底では予定が立たないような不定形な空き地がどこかに欲しかった。 しかしそこに、堕落や不幸に繋がるかもしれないといった不安もあった。  直線の連なる四角い形を並べて、そこに小さな満足を重ねてきた。

再びゲーム感覚で、それが2拍子だったのか3拍子だったのかを思い起こす。
2拍子は即ち、 1、2、 1、2〜 の行進曲のような世界で、特に日本人が得意とされる。 第二次世界大戦終戦の前後は特にそうだっただろう。 その後、世の中は激変したが、今でも日本人は以前と同じく2拍子系だと私は思っている。
3拍子はワルツのリズムだ。 クラシック音楽を育んだ欧州の人たちは、もちろん3拍子が得意だ。 1、2、3、 1、2、3のリズムでは、最後の3拍目に予想のつかない遊びがある。 その中に込められるのは、ほんのりと色づいた誘いだったり、気がつかないような問いかけだったりする。 そして、3拍子では1拍目から3拍目までの3つの拍子が自由に伸び縮みして互いを補いあっていることが多い。
私は長い間この3拍子に憧れてきたが、生活の底に流れているのは2拍子のままだ。 日本人としての私が厳然とここにいる。

最近は、時間に余裕ができたこともあって、直線の四角いところから、時折、丸や不定形を自覚することが出てきた。
3拍子の心を持つ事は難しいが、心がけている。
音楽の勉強を通して、それが心に浸透することを願っている。