秋になると私の心は複雑だ。 なぜなら、秋は好きだが嫌いだからだ。
美しい晴天の下、心地よい風に吹かれて歩く。 青い空に様々な形をした雲が浮かぶ。 空の青を刷毛でなぞったような雲もある。 少し前の焼け付くような太陽の光から解放された木々は、空に向かって枝を揺らしている。 風の運んできた一塊の空気は体中に染み渡り、隅々の細胞にまで酸素がたっぷりと届けられたような感覚になる。
夏の息詰まるような暑さが去り、湿気を含んだ重い空気は消えた。
そして爽やかさがやってきた。
こんな秋が私は好きだ。
しかし、秋にはどこか逃れられない悲しさがある。 秋の美しさ、心地よさに浸る時、私はいつも心の片隅に言葉にならない悲しみを抱えている。 それは抜けるような青空の果てにも、空に浮かぶ雲の影にもある。
夕闇が迫る頃、その悲しみは心の底からその姿を現す。 闇に向かう光は輝いていた木の葉に影を落とし、心の隙間に吹く風のように枝を揺らしている。 秋を告げる虫の声は嘆きの節を披露する。 つかみどころのない不安や、焦燥が心を占領する。 そんな秋が私は嫌いだ。
秋のように「好きだけれど嫌いな」ものは他にもある。 人間はいつもそんな複雑な感情を持っているのだろう。 好きと嫌いという2つの感情の間を往き来する。 その間で一生懸命バランスを取ろうとする。 2つの間には見えない糸があって、そこに繋がれている私がいる。 その糸にぶら下がって、右往左往している姿が滑稽だ。
どんなことにも表と裏がある。 どちらが心地よくてどちらが心地悪いか、どちらが正しくてどちらが間違っているかなど誰にもわからない。 そんな評価が下せるほど、生きるという事は単純では無いのだろう。
音が数え切れないほどの色や感情を持ちながら絡まり合い、表現をしていくように、そのすべてを心に照らしながら音を出す。 そこには心地よい秋の音も、不安に駆られた秋の音もある。 それらは激しい感情をさらに奮い立たせ、萎えた感情さらに押し黙らせる。
そこにふと、鳥のさえずりが聞こえる。 自然の生み出した無垢の歌だ。限りなく美しい歌。
様々な感情の溢れた表現が沈黙しそこに帰る。
こんな秋の風景が私の中にある。