初めて ”月下美人” なる花を見る機会に恵まれた。
ご近所のご夫婦が大切に育てられたものだ。 今夜咲きそうだという連絡を受け、午後9時に伺った。
高貴で滅多に咲かない美しい花、夜中に開き、数時間後にはもうその花を終えるということくらいしか知識はなかった。
蕾が膨らみ半開きになり、微かな香りがたちこめる。 私たちの期待を一心に受け、それに応えるかのように、11輪もの花がその3時間後に一斉に満開になった。 部屋には芳醇な香りが満ち溢れた。
私たちは写真をさかんに撮り、甘い香りに酔い、その美しさに浸った。
そして、すでに日付けが変わった頃に、咲き誇る花を何輪か手にして帰宅した。
月下美人は不思議な魔力を持ったエネルギーに満ちた花だった。
それがわかったのは鑑賞後に持ち帰ってからだった。開き切った花を様々な花器に生けた。
その白い花びらの美しさといったら想像以上だった。
まず、微かに透けている。 そこにいく筋かの紋様が入っている。 それはノーブルなレースのようだった。
ピンクとも茶とも言える色のついた何本もの蕚片(がくへん)がその花びらを支えている。 まるで女王を支えている兵隊のようだ。 その妖艶ながら逞しくもある蕚片と、そこに収まる純白な花びらが対照的でもあり、融和しているようでもあり、それは不思議な調和を香りとともに放っていた。
もう夜も更けていたので、私は床についた。 側には花瓶に生けた一輪の月下美人が置かれていた。 まだ咲き誇っていて美しかった。
興奮しているのか、寝付けなかった。
やがて1時間経ち、2時間が経った。 そこで私は眠れない理由をはっきりと自覚した。 花だった。 そのエネルギーを身体中で感じた。
しばらくすると、その甘い香りが私の周りにそれまで以上に垂れ込めた。 まるで花の香が密になって頭上に流れ来て、その力に揺り動かされているようだった。
ついに私は降参した。 朝の4時過ぎだった。 花の生けられている花瓶を隣の部屋に移した。 まだまだ満開の勢いを見事に保っていた。
花の魔力はまだ続いた。
花は朝になると萎んでその姿を閉じていた。 私たちは花器からその花々を集め皿の上に並べた。
その翌日、萎んだ花からは、あの美しい花びらの白が往時のまま垣間見えた。 そこで、私たちはそれを食することに決めた。
調べたレシピ通り、綺麗に洗って花びらを開き、中に収まっている雌しべと雄しべを取り出した。
そして再度、発見したのだ。 その雌しべと雄しべの美しさといったら格別だった。 取り出した何本もの雌しべは白く透けた絹糸のようで、キラキラと光っていた。 捨てられてゴミ袋に収まっても、そのプライドを捨てることなく燦然と輝き続けていた。 それを捨てたことに呵責の念を覚えたほどだった。
その日、私はピアノを弾きながらまだそこに花の力が漂っているのを感じた。 姿は消えてもその美しさを誇る生きた力が、幻のように記憶された花の様から感じられた。
白という色が濃密でありながら透明感や紋様を持ち、可憐な花片となっている。 そこからはノーブルであり妖艶であり魔性さえも感じられるオーラが漂い出る。 そしてその花片の内側にはさらに絹糸のような雌しべがひっそりと、しかし力を秘めて隠されているのだ。 幾重にも重なった美がそこにはあった。
こんな美しさを画家は描いたのだろう。
私は音でこれを描きたいと思った。 さらなる美を内に秘めた美。 メロディーやハーモニーの美の中に複雑な層を持って、しかしあの花の雌しべのように整然と連なる美が隠されている。
芸術の美は自然のそれに連なる。 美を追い、自然に還るということなのだろう。
今だに花の香は記憶に新しく私の周りに満ちている。
幻の姿、幻の香に囲まれて音を連ねる。