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不協和音の知恵

不協和音の知恵

 
 まだ若い学生だった頃、私の中には 「まだ何も知らないから、真面目に勉強や練習をして、どんどん色々なことを吸収しよう」 という素直な気持ちと、「私はもう一人前に考えを持ち、行動し、自分の将来を見据えて歩いていけるのだ」 という不遜な気持ちが同居していた。
時には、驚くほど堂々と行動し、迷わず道を選択していたが、時にはやはりこれも驚くほど素直になって先人の知恵を仰いだ。

そんな時、私に深い驚きを与えたことがあった。 それは、毎週の大学でのレッスンの時に言われたことだった。 ペダルの拙い使い方で音の濁りを気にしていた時、ふと言われた先生の言葉に驚いたのだ。

「不協和音を生む音の濁りが美しい時もあるのです。」

その言葉を聞いた時には、その予想もしなかった考えに驚いた。 美しさというものが、予想外の方向へ向かうことに、心底驚嘆したのだ。 そして時間が経つにつれ、それは深い示唆を私に与え続けた。

 発想を転換する事自体への気付き、さらに醜いと思っていたことが美しいことへ転じることの驚き、それまでの思い込みの不確実さ、それまでの硬直したような融通性を欠く思考への後悔などが次々に私を襲い、それは当時の私にとって、多くの可能性を秘めた未開の道を発見したようでもあった。 
忘れられない貴重な青春時代の思い出だ。

この思い出が鮮やかに蘇り、今の私に一つの指針を与えているように思える。 それは過去の習慣や思い込みから脱却した柔軟な視点を持つことだ。 「不協和音にも美を見出す」 というような柔軟さだ。 当時の私の驚きは、美というものの範囲がいかに広いものかを知る第一歩だった。 その後、音楽の道すがら、私は多くの苦悩が美に変わり、愛が美に変わるのを音を通して体験してきた。 予測したもの、今見ているものが予想もつかない異次元のものに変化することに目を見張り、心が踊った。 それは芸術が我々に与えてくれる、果てしない拡がりを持つ世界だった。

様々なことで危機に晒されている今、現実の世界においても、そんな柔軟な視点を持ちたいと、心のどこかで思っている。