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光への憧れ

光への憧れ

私には光を放つものへの憧れのようなものがある。 輝くものといってもいいかもしれない。

強い近視のせいで私の網膜は傷んでいる。 しかしそのお陰といってはおかしいが、夜床に入って灯りを消すと、たくさんの光が現れる。 それは丸く弧を描いたり、視野の一番端で激しく光ったりする。 光の雫が雨のようにゆっくり降り注いでいる時もある。 最初は目の異常が心配だったが、すっかり慣れてそれを楽しむようにさえなってから久しい。 闇の中でそんな光に会うと特別なものを見る特権を与えられたような気がする。

演奏家が舞台で着けるアクセサリーも光るものが多い。 舞台を照らす強いライトを予測し、きっと客席からはキラキラ光って見えるだろうと期待して、女性演奏家は髪やドレスにもちょっとした光る石をあしらったり、衣装をスパンコールで埋め尽くしたりする。 ”華のある” 存在感を舞台で漂わせたいということなのだろう。

光にも色々あって、強烈なものからほんのりした優しいもの、いぶし銀のように地味だが味わい深い光もある。

私は若い頃に比べると、歳を重ねるにしたがって派手な光から柔らかいものに好みが移ってきたように思う。 装飾品でも、真珠を着けることが多くなった。 以前は光が当たって反射するそのエネルギーが好きだった。 輝きに鼓舞されるところもあった。
今は違う。 その鈍い光がこちらの感覚を吸収してくれるような心地よさがたまらない。

これは音楽も同じだ。 輝く躍動感もいいが、それ以上に共感できる温かい光を感じられる旋律やハーモニーに惹かれる。 華やかな音の陰に何重にも複走する旋律が隠れている。 そこからは微かな光がいつも出ている。 それを見つけた時は心が踊る。 じんわりとその光が私の中に染み入る。 こんなところにも作曲家の心があったのだと、隠されていた宝物を見つけたような気になる。 これは、美辞麗句を重ねて饒舌に巧みな話術で人を惹きつける人より、寡黙だが、ふと限りない暖かさを感じる一言を発する人に会って、その心の温もりに感動することに似ている。

人に対して向き合う時、音楽に向き合う時、そして、音楽を人に提供する時、いつも柔らかいが包まれるような光を感じていたい。 そんな光を発信していたい。