BLOG

生きているもの

生きているもの

世界中がコロナ禍にあって異常事態の中で生きている。そんな中で、日々新しい情報が飛び交っている。刻々と変わる内外の状況を正確に早くキャッチしたいと毎日の報道は欠かさず見る。人との交流は極度に抑えられ、毎朝音楽と向き合う。この現実から離れた時間に起こる変化は、現実的な刺激が少ない今、私にはとても新鮮だ。

それは考え詰めていくと、「生きているもの」に対する好感だったり、憧れだったり驚きだったりする。

音楽そのものが現実を離れた世界で生きている。それはたとえ、毎日1回しか弾かない数分の小曲ですら、日々その姿を変えるのだ。育ったり、萎れたりする。その度に私は一喜一憂しながら手入れをする。突然それまでの沈黙を破って、雄々しい姿を現す曲もある。そこまで来るには長い沈黙が必要だったと気付く。現れた姿は生き生きと呼吸をしていて生命感に溢れている。

音楽はそれ自体、抽象的なものなので、長く付き合っていると、架空の世界に生きている錯覚に陥ることがある。時には、単なる自己陶酔に沈んでいることもあるだろう。しかし、音楽はそんな架空の夢のような世界ばかりではない。その狭間には現実が点在している。表現された先に感情があり、心が震えるような感動もある。それは現実だ。音符が表していることが目に浮かぶような、はっきりとした情景だったり、手に取れるような柔らかい絹素材のようだったりする。これも架空ではなく現実だ。

多くの巨匠達が書き残しているように、音楽は架空と現実、混沌と整然とした理論の間を行き交うものなのだ。それが、言葉を超えて人々の魂に直接訴えかける。そこには、音楽ならではの世界が構築される。

毎日触る楽器も生きている。ご機嫌が毎日変わる。その変わり方がこのところ激しい。そこをなだめつ、すかしつ、ご機嫌を取る。しかし、この変化も今の状況下では「生きている」ものの感触としてはある意味、楽しいものだ。

やはり、私は生きる者として、「生きている」ものが好きだ。
早く、人と交われる日々を取り戻したい。