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同門のつながり

同門のつながり

今まで、色々な人達と多くの時間を共有してきた。
流行りの言葉で言うとコミュニティと言うのだろうが、例えば小、中、高、大学で一緒に学んだ仲間は同窓生、その後、一緒に仕事をした仲間は同僚だ。同じ経験を共有し、忘れられない場面を同じように持つという意味で、離れて見れば懐かしく貴重な存在だ。久しぶりに会うと、忘れていたことをその仲間達が覚えていたりと、楽しい話に花が咲く。

そんな人生の流れにもう一つの副路のように存在するのが、クラブやサークルなどの集まりだ。
家族や学校のほかに、私には小さい頃から習っていたピアノの世界があった。結局はそれが大学での専攻となり、自ら選んだ留学先での学びとなり、職業となった。

習い事の世界では一人の教師に集まる生徒達を同門という。この音楽の世界も同じだった。どこにも、名教師と言われる素晴らしい師匠がおられた。たまたま私が幸運にも師事することになった先生も関西の名門だった。同門には素晴らしい音楽家がたくさん育っていた。どこの門下もそれぞれの師匠に誇りを持ち、競い合って腕を磨いた。
私は高校までの先生、大学から留学までの先生、留学先で出会った先生と何人かの方々に薫陶を受け、その度にその場でそれぞれ違った同門を持つことになった。

高校までは、個人レッスンの中、前後に出会う人だけが顔見知りになったが、年一回催される門下生の演奏会で先輩や同年代の人達の演奏を聴き、刺激を受けた。そんな中、コンクールに参加したことで、私の高校時代は同じ門下のコンクール参加組と先生を中心にして特別に濃厚な時を持った。
大学に入ると新たな先生との間はゼミのように親密になり、同門の仲間達とも親しく一緒に時間を過ごした。〇〇先生の門下は〇〇先生流の弾き方がある。各門下生は不思議とそれぞれに顕著な共通点があり、演奏を聴けばその人がどの先生の門下なのかがすぐに分かる。そんな特色豊かな、それでも凌ぎを削る大学生活だった。

そんなそれまでの濃いDNAを受け継いで、私は更なる勉強のためにローマに行った。そこでもまた師事した教授のクラスメート達と同門になった。皆、それぞれがもう立派なピアニストだ。日本の人達は関東や関西ほか、様々な土地の出身だった。ほかにイタリア、ルーマニアやハンガリー、ブルガリアの人もいた。

年を経て気が付いたことがある。この最後の学びの場での仲間達と心地よく「言葉が通じる」のだ。それぞれが既に違った道を経てピアニストになってから出会ったのに、やはり彼らとは間違いなく同門で、音楽的センスなどが共通しているのだ。苦労なく分かり合える。つまり、間違いなくそこで新しく得たものが共有されている。そこには、師事した教授だけでなく、学んだ土地、イタリアという国の風土も関わっている。
以前、同じ門下のイタリア人ピアニストが来日し、演奏会の合間に公開レッスンを何度か行った。そこで通訳をすることになったが、私のローマ滞在と彼の在学期間とは重ならなかったにもかかわらず、最初から私たちの間では旧知の間柄のように信頼関係が成り立っていて、全てが完全理解のもとに進んだのには驚いた。同門というのはこんなものかと感心したほどだ。

どの時代の同門の人達も、当時は少し離れた存在だったり、少し競争意識を持ったりしていたのだろうが、時を経るとやがて強い同門意識で結ばれる。お互いにエールを送り合い、励まし合い、尊敬しあって、昔の話に花を咲かせたりするのだ。

先生も喜んであの世から見ておられるかなぁ、と思いつつピアノを弾きながら同門の仲間に思いを馳せる私がいる。