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無駄使いをしよう

最近、無駄使いをするのも悪くないと思うようになった。

考えてみれば、いつの間にか「無駄使いをしないで生活しよう」ということが私の中では「より良く生きる」ということと重なっていたように思う。無駄はたくさんある。金銭的な無駄もあれば、物資の無駄、時間の無駄、労力の無駄、体力の無駄などだ。そんな生活の様々な場面において、合理化を図り、少しでも楽に幸福に生きていきたいと、人は無駄を省こうとする。私も何かにつけて、無駄を省きたいと思い生活してきた一人だ。

しかしながら長い時間の単位で振り返れば、結局は思わぬ場面で無駄の帳尻がいつの間にか合っていたということが少なくない。つまり、無駄は無駄でなかったのだ。無駄使いしない努力にはある種の犠牲が伴う場合がある。その犠牲がもたらす結果と無駄使いしなかったメリットとはどちらが大きかったのだろう?と思うことがある。
時間を無駄に使いたくないというのは私の大きな長所であり、短所でもある。得るものの代わりに失うものも多い。もちろん、物事は全て表裏があり、それが相反するものであることが多い。短時間に最大の能率をあげて、山のような雑事も最速で片付けて満足する。いつも時間の足らないピアニストにとってはこれはほとんど日常だった。これで失ったものもある。しかし、またその失ったものから得たことも多い。
ひったくりに合い、大金を奪われた上に怪我をしたことがあった。回復に1年以上かかった。しかし、失ったものは無駄ではなかった。代わりに多くの人達の好意に接し、感涙を流し経験したことのない幸福な時を持った。
手を壊したが、長い苦闘の末、そのお陰でアレクサンダーテクニックに出会った。それは私の宝となった。手を壊したことで音楽への接し方が変わり、私の音楽が変わり今の私が在る。
回り道は無駄ではなかった。いや、必要だったのだと痛感する。
おそらく、人の人生には無駄なものは何一つないのだろう。つまり誰にとっても、どんな状況下でも無駄は無駄ではなくなる時が来る。

これからは、やりたいことを見据えて大いに無駄使いをしたいと思っている。