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フレッチャロッサ

イタリアには、freccia rossa(フレッチャ ロッサ)という電車が走っている。何年か前に日本より随分遅れてではあるが、ようやく完成した新幹線並みの速度で走る交通機関だ。完成には時間がかかったし、日本のようには何もかもが正確にはいかない国ではあるが、美的センスは抜群なので、その名が素敵な響きである上に、姿も素晴らしい。フレッチャというのは、矢という意味でロッサは赤、つまり赤い矢という名だ。車体には横に一直線に赤い線が真っ直ぐに貫かれていて、尖った鼻先で赤い線を従えて風を切って走る姿は実に頼もしく美しい。まさに赤い矢が飛んでいくようだ。
この矢のように、動きと方向性を持ったものには何故か、人を駆り立てるものがある。モチベーションが上っている時、ワクワクしている時、新しいアイディアに心が踊っているなど、人は必ず心に矢のような動きを持った方向性を感じている。美しい音楽に接して感動している時も、静かな動きが小さな矢となって波のように広がる。
そして考えてみると、逆に心が沈んでいる時、ストレスに苛まれている時や希望の持てない時などは体にも精神にもあまり動きがないことに気付くのだ。身体はいつも内向きになって、縮こまっていく。目線も下向きになる。何かとマイナス思考になる。

矢のように速くなくてもいい、フレッチャロッサのように格好良くなくてもいいから、いつもそんなフレッチャを自身の中に持てたらいいなと思う。いや、持つべきなのだろう。

イタリアでは、フレッチャロッサが走っている姿を見るたびにいつも私は子供のように興奮していた。美しい赤い矢が飛ぶたびに、なにか心の底から励まされているような、鼓舞されているような気がしていたのだ。約束が約束通りにいかなかったり、様々なことに時間がかかったりと、生活の諸事に憤慨したり辟易したりしながらも、いつも以前より元気になって日本に帰ってきたのは、案外こんなところに訳があるのかもしれない。